一日目

台風一過、でも天気は最悪

 8月3日、昨夜は台風が宇部、小野田の上空を通過したようだ。しかし、私はすっかり熟睡していた。
台風一過という言葉があるが、なんだか雲行きが怪しい。ときおり、吹き戻しの風と強い雨が降る。
早い話、天気は最悪だ。会社は、8/3〜5と3連休である。前々から歩きたかった萩往還を踏破する
のは今しかない。それは気ままな一人暮らしが、もうすぐ終わってしまうからである。小野田に単身
赴任して、もうすぐ2年。9月末には大阪に戻ってしまう。残された時間がなくなってきた。
思い立ったらすぐ実行。

 9:38小野田発の電車に乗る。防府駅に到着し、10:30 市役所に向かう。萩往還に関する詳細な地図
を入手するためである。萩往還マップ(山口県文化財愛護協会発行)が県庁などで購入可能であるが、
私は、防府市役所の文化財保護課に立ち寄って購入した(300円)。このときに萩往還散策マップ
(一部〜四部)もあわせてもらった。これらは無料であるが、ルートとともに史跡や名物の場所が詳細に
記してあり、後々大変役に立った。

 11:00に市役所を出てからがいけない。雨がさらに強くなってきた。台風が北よりの進路をとり、湿った
空気が上空に流れ込んでいるためだ。逃げるようにサティで雨宿りしながら、地図をながめていたが、
外の雨は、いっこうに弱まらない。一日目のルートを頭に叩き込む。そのうち、だんだんイライラしてきた。
11:40、大雨の中、耐え切れずついに外に飛び出した。

スタート地点に立つ

 12:07にスタート地点である御舟倉跡に立つ。相変わらずの雨である。この先が思いやられる。
お茶屋を通り過ぎ、防府天満宮に向かう。雨は、よいうやく小降りに。
 境内でおにぎり2個の昼食を取るが、たった一時間歩いただけなのに、なんだか足が疲れているようだ。
これからの長い道のりが不安だ。


12:07

(出発地の御舟倉跡)


 ここ三田尻は、長州藩の水軍拠点があったところ。御舟倉には、藩主が乗船する「御座船」などが係留されていた。
 防長三関(上関、中関、下関)の一つ中関とともに瀬戸内海の重要な港で、栄えた場所である。今は、もう昔の面影はないようである。


12:17

(三田尻御茶屋)


 承応3年(1654)二代藩主毛利綱広が作った茶屋。お殿様の参勤交代や領内巡視の際には宿舎となった。現在、防府市に寄贈され、「英雲荘」と名づけられている。萩往還の終点とされている。御舟倉跡とは10分ほどの距離である。


13:00着 13:15発

(防府天満宮)

京都の北野天満宮、大宰府天満宮とともに三大天神として有名。

 お茶屋からは、萩往還は真っ直ぐ防府天満宮に向かっている。ここでしばし休憩を取り、昼食。
コンビニで買ったおにぎり2個とお茶。今は、それだけで十分だ。

 雨は止んできているが、服やズボンが濡れて重くなっている。旅の無事と家内安全を祈って、お賽銭をした。ご縁があるように5円を投げ込んだが、なんともケチ臭い話である。境内の絵馬は、受験の合格祈願ばかりが書いてあった。我が家は毎年1月3日に京都の北野天満宮に初詣に行くのが恒例であったが、今年は受験生がいなかったので四条の八坂神社にお参りした。浮気したためか凶が出た。来年は天神さんに戻りますから〜


13:20

(宮市本陣:兄部家)


 防府天満宮周辺は宮市と呼ばれ、萩往還や山陽道(西国街道)を行き交う人でにぎわっていた。その本陣を務めた兄部(こうべ)家が残っている。
島津藩などの九州の諸大名が利用し、伊能忠敬も全国測量の際に宿泊したとされている。

 

 

防府市内を抜ける

 防府市内を抜けるのにも一苦労である。防府天満宮からしばらく西へ向かう。一筋南は種田山頭火の小径が
あるが何のことはない。山陽道から右に折れて、いよいよ山口を目指す。佐波川を渡り、国道262号線の東側の
旧道らしき道を歩き、鯖山峠に至る。雨は止んだが、蒸し暑い。汗は出るが乾かないので、服やズボンがびっしょ
りだ。

 13:23
防府の大地主の長男として生まれ、自由を愛して放浪の
旅に出た俳人、種田山頭火。
山頭火の小径。彼が小学校に通った道だそうである。

13:30 山陽道と萩往還のクロスポイント。ここから右折して山口に向かう。いよいよ来たかという気持ちになる。


 13:40



佐波川に架かる本橋。かつては、舟を並べた上に板を渡して、人が渡った舟橋があったところ。昭和16年に本橋ができるまで、約200年間、このスタイルの橋があったそうだ。
現在は、これより下流にある国道262号線の新橋が車が通行するメイン道路になっている。

昔はいったいどんな様子だったのだろうか。


雨は止んだが、山口は遥か遠く。
先が思いやられる・・

右田岳は標高426mの岩山である。私は新幹線で新山口に向かっている時に、この山が見えたら、降りる支度を始めることにしている。

14:05 出発してから1時間30分。剣神社横を通過。とても古い神社のようである。

14:40 おろく塚で国道262号を渡る。その昔、茶店に「おろく」という美人の娘がいて、多くの若者たちが足繁く通っていた。一人の若侍が思いを伝えたものの断られたことに腹を立て、一刀のもとに斬ってしまった。その霊を慰めるために作られたのがおろく塚。
国道は佐波山トンネルを抜けて山口市に通じるが、萩往還は左の道を上がり鯖山峠に向かう。

 

最初の難関、鯖山峠を抜けて山口へ

 防府を出て、真っ直ぐ北上してきた感じである。ここまでは生活道路のようなところを歩いてきたが、鯖山峠
は山の中だ。最初の峠でもあり、ささやかながらも感激した。今は人が通らないが、きっと昔の人は、ここで
一休みしたのだろう。人知れず建っている郡境の碑は、時代を超えて多くの人を見つめてきたに違いない。
 峠を下ってからは、中国自動車道の山口インターチェンジ付近までは、国道の東側を歩く。車はほとんど
通らない。道沿いに咲いている花に蝶が舞い、疲れた心を和ませてくれる。昔の街道を偲ばせる。
 インターチェンジ付近で国道を横切る。マクド(関西ではマクドナルドのことをマックとは言わず、マクドと呼ぶ)
が見える。「ああ、メガてりやきを食べたい。」「いかんいかん、自分を律するのだ。」
悪魔天使の両方がささやいている。
 ここからは、地元の生活道路を歩く。トイザラスで、トイレ休憩(トイレざまス)。防府天満宮からここまでは、
ほとんど休みらしい休みを取らずに歩きつづけてきたので疲れがたまっている。体から水分が相当失われて
いるので、水分の大補給をした。冷房が効いた場所であったが、一気に汗が出始める。足のマメの様子を見る。
いかん、心配したように出来始めている。大雨の中歩き始めて、靴の中が湿ったためであろう。カットバンで、
応急手当をした。


15:00

鯖山峠にある郡境碑

ここより北は吉敷郡、ここから南は佐波郡。
ついに郡境に到着。

出発してから3時間。防府を抜けて、いよいよ山口に。
なんか歩いてきたんだなあと実感がする。


行く手を阻む道いっぱいの水たまり。大雨の産物。

15:25 美由伎松(みゆきまつ)
探したものの、どれがその松?ここでよかったの?


16:10

吉岡一味斉は毛利藩の剣道指南役であった。
「その」という美しい娘がおり、嫁にもらおうとした家来の申し出を断ったため、一味斉は、その家来にこの地で火縄銃で殺されてしまった。その後、妻はその家来を仇討ちし、本懐を遂げることができた。


昔の道をひたすら北上して山口を目指す。
多くの車が行き交う国道とは違い、ゆるやかな時間が流れる道だ。

16:40 柊(ひいらぎ)神社。萩往還沿いにある。宝暦8年(1758)長州藩毛利宗広の二女誠姫がこの神社を再興した。

16:52 山口インターチェンジ近くにマクドがある。ここで国道を横断する(地下道)。そういえばお昼におにぎり2個だけだった。メガてりやきを食べたい・・・

17:00 トイザラスでトイレざまス。
(しょーもないシャレでm(_ _)m)
ここで、ちょっと休憩を入れて足の様子を確認。

 

山口までの長い道のり

 あとは、本日の宿泊場所であるホテルサンルート目指して、ひたすら歩くだけ。雨はすっかりあがって
ときおり薄日が差す時もある。この付近は大内だ。しばらくは生活道路を歩く。昔の街道がそのまま生かされ
ている感じだ。それにしても長い。山道であれば、その変化を楽しむことができるが、アスファルトの道は辛い
ものがある。夕暮れも迫ってきている。なんとか明るいうちにホテルに着きたいものである。
 足のマメが気になる。左足の小指と足の裏がやばい。左足のふくらはぎもなんだか痛くなってきた。仁保川を
渡るときに姫山がよく見えた。心の中で「ワンゲ〜ル、ファイ(トは発音しない)」という声が4回聞こえてきた。
いつも苦しくなったときに、誰かが発して、気合を入れていたものだ。なぜか急に元気が出てきた。

 山口市内はもう少しだ。山口に美人がいないというのは、実は、この姫山の伝説(呪い)があるからだとされて
いる。でもきれいな人?が山口には大勢いるので、今は昔の物語。


大内のそれらしい風情がある道

17:35 仁保川に架かる氷上橋。ここも昔は舟橋があったところ。

台風の後なので、満々と水を湛える仁保川。その向こうには姫山が見える。

17:58 ここで、豆子郎(とうしろう)(ういろう)が作られている。美味しい!

18:05 鰐石橋。ここまで来たか!いよいよ山口市街地だ。川の右岸には鰐石の重石がある。

18:07 山口線の踏切を渡る。テツ初級者としては、この写真ははずせないところ。

18:09 萩往還はここで右折し、裁判所横を左折するが、真っ直ぐ行ってから右折する裏萩往還を行くことにした(右写真)。

18:16 道場門前商店街。ここが裏萩往還。山口の三大まつりの一つ「山口天神祭り」は大市、中市、道場門前、西門前などを通り、こちらの方が地元では有名らしい。

 

ついに到着、一日目終了

 18:30 サンルート山口に到着。本日の歩行距離22km。しかし、防府市役所を寄ったりしたので25kmという
ところであろうか。防府駅を10:30に出てから8時間、実質の歩行時間は約7時間になる。まあ、がんばったと
しよう。ホテルの一番安い部屋は予約できなかったので、シングルではあるが、広いベッドの部屋に泊まる。
7Fなので見晴らしがよい。
シャワーを浴びてスッキリした後、恐る恐る足を見る。やっぱり左足にマメができていた。小指にできたマメ
をかばうようにしたため、足の裏、親指の付け根にも水疱ができている。左足のふくらはぎも痛い。
もう一つの萩往還マメについて記録しているので、勇気ある人はそちらもご覧いただきたい)
 
 ここ一年、家から会社までの往復約60分歩くようにしている。歩くことには慣れているつもりであったが、
さすがにこの距離は大変であった。まだ行程の半分も来ていない。この後、山道の難所もいくつかある。
う〜ん、ちょっと不安になってきた。  
 夕食は、いろんなことを考えていたが、結局、歩いてすぐのところにある春来軒の「ばりそば」。これは
山口での或る日の出来事」の中でも紹介している。お腹が空いていたので、小盛ではなく並にした。
自分へのご褒美にとビールと餃子もつけた。「ばりそば」は皿うどんとは違う。あんかけではなくスープが
かかっている。キャベツの食感と筍がスープを吸った麺に絶妙に合う。まさに至福の夕食であった。


18:30 サンルート山口到着

20:15 夕食は歩いてすぐ近くの春来軒の「ばりそば」(これは並盛) ビールがお腹にしみわたる。 もう最高!

(筆者より)
 ここまで読まれたあなたは暇人いや賞賛に値します。まだ二日目もありますので、心して読んで
ください。萩往還は、一度は歩く価値がありますので、この記録を参考にせず。自分で研究されて
挑戦されてみてはいかがでしょうか。

二日目前半へ

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