なぜ、マメができるのか?

それは摩擦が原因である。私の足の特徴から、どうも左足の小指が靴に擦れるようで、
いつも同じ所にマメができるようである。今回、それを気にしてか、靴の中では無意識に
左足の指を内側に曲げるようにして歩いていた。おかげで左足裏、親指の付け根にマメが
できてしまった。ここもよくできるところである。

 

ホテルで、この水疱をつぶして、乾燥させようとした。ばい菌が入るといけないが、痛みが和らぐ経験をしている。マメができると、極端に歩く意欲が失われる。このような長時間歩くためには、靴選びは大切である。今回は、毎日会社の通勤で履いている靴を使った。これは足先に余裕があり、ある程度、足に馴染んでいたからである。

 

 以下の足の写真は、帰ってきてからの翌朝に撮影したものである。この部分に体重がかかる
ので、歩く時はつらい。 ホテルで予めつぶしていたが、そんな簡単に皮膚は癒着しない。
二日目は、かなり広い範囲にマメが広がっていた。靴下に血が混じっていたので、歩いている
ときに何回かつぶれたに違いない。しびれるような痛さであるが、我慢しながら歩いた。
もう修行の域である。

 

 かばうようにして歩いた左足であるが、やはり小指にマメができている。こちらは歩いているときに水疱がつぶれなかったようだ。 登山靴では、足の指先に余裕があるので、マメは出来難い。しかしタウンシューズや運動靴は、足にフィットするものにしているので、こんな長時間歩くのには向いていない。この水疱は、これを書いている8/521時でも同じような状態である。これはこのまま放っておくことにしよう。

 

 右足にもマメが2ヶ所できていた。小指の裏と足の裏である。ここは歩く時に一番体重がかかるところであろう。こちらのマメは健全な足の証拠であろうか。言い換えれば、歩くのに一番つらいマメであった。どちらもつぶれていないので、歩いているときに水疱全体に圧力がかかる。これが足にジンジンと響いてくる。

山道を歩く時は、小石や木を土踏まずの部分に挟んだりして、痛みを和らげる工夫ができる。しかし、アスファルトの道はどうしようもない。

 

 萩に近づいてからは、歩くのが相当つらかった。ここまで来たのだからと心に言い聞かせ、
ひたすらゴールをイメージして歩いた。しかし、知っているはずの萩で最後に道に迷ってしまった。

自分はまだ青年(気持ちだけ?)と思っていたが、やはり寄る歳には勝てないのを実感した二日間
であった。

 


(青年よ、何想う)

 ここは萩市郊外の 涙松と呼ばれた跡で、萩から旅立つ人は萩 の街を振り返りながら惜別の涙を、萩に戻る人はうれしさで涙を流すことから名づけられた場所である。吉田松陰は「帰らじと思ひさだめし旅なればひとしほぬる涙松かな」と詠んでいる。しかし、この時、私は、すでに放心状態である。

 

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