二日目(前半:防長国境まで)

今日は天気がよさそう

 8月4日、昨夜はまあまあ眠れただろうか。疲れて起きれないことはない。左足のふくらはぎの痛みは
ひいているが、昨夜つぶしたマメは完全にはくっついていない。今日は根性で歩くことにしよう。

 朝食は昨夜コンビニで買っていたサンドイッチと野菜ジュース。あまり重いものは朝から摂りたくない。
7:30にホテルを出発した。やはり朝はすがすがしい。ザビエル記念聖堂が白く輝いていた。火事で建て
替わったが、モダン過ぎて、やはり昔の建物の方がいいと思う。
 まずは、誰もいないうちに山口の町を歩いておこう。米屋町商店街、中市商店街はまだ人が通っていない。
「舌鼓」で有名な山陰堂の前を過ぎた。このお菓子は本当に美味しい。外郎(ういろう)は、私にでもお土産
として買うことができるが、「舌鼓」は高価なため、私ごときが買うには勇気がいる。白あんと薄いお餅の皮
がこれまた絶妙である。
 かつて札の辻(町人に向けての高札が掲示してあったところ)を左折し、竪小路を歩く。ここも昔はきっと
栄えていたんだろうな。武士、町人、いろんな人が行き来していたことが想像できる。

 そのまま、9号線バイパスを横切って直進してもよかったが、朝の一の坂川を見たかったので、寄り道を
した。台風の影響で勢いよく水が流れていた。しかし、この風景。いつ見てもよい。大好きなところである。
セミが朝からうるさく鳴いている。今年は大発生の年のようだ。ついでに警察学校の体育館も写真に収めた。
明倫館をイメージさせる山口らしい建物だ。せっかくなので、ここから香山公園に行こう。なんだか、萩往還
を忘れて、いつのまにか名所めぐりをしているようだ。

 
ホテル前から見たザビエル記念聖堂
7:30出発



7:45 銘菓「舌鼓」の山陰堂前


7:48 札の辻。
町人に向けての高札が掲示されていたところ。
萩往還は、商店街から、ここを左折して竪小路を北上する。

竪小路。かつての賑わいは今いづこ。山口七夕ちょうちん祭りはこのあたりであるのかな?

8:02 大好きな一の坂川の流れ。夜に散歩(デート)するのもよし。桜の名所、ホタルの名所でもある。

8:05 警察学校の体育館。バイパスをはさんで県庁向かい側。なかなか味わいのある建物である。

 

なぜか萩往還を離れて

 う〜ん。やっぱり山口の町はいい。萩往還に行こうと思っても、ついつい寄り道をしてしまう。
萩藩主(毛利)のお墓がある香山公園は、うぐいす張りの石畳と呼ばれているところがある。いくら
でも音遊びができる。そんなこんなで1時間ほど時間を費やしてしまった。
 瑠璃光寺でセルフタイマーを使って記念撮影後、再び、萩往還に向かった。しかし、悲劇?が
待っていたのである・・

 何を思ったのか、一の坂ダムに向かって天花畑の旧道を歩いてしまった。ダムができる前には、
谷間のこの道が街道だったのである。地図には、このルートが書いてある。車道は山の中腹を
ぬっているが、私は、ダムの下から上の道にきっと行けるものと思っていた。しかし・・・
 道の終点は行き止まりだった。敢えて柵を乗り越えていくには勇気がいる。テロの対策として
警報が鳴り響き ⇒ 不様にも逮捕されて ⇒ ニュースとかに載ったら、もう私の人生終わりである。
どんどん、変なことを想像してしまう(たぶん、こんなことはないだろうが)。というわけで、来た道を
引きかえして、あらためて車道を歩くことにした。この間、無駄にした時間30分。ただでさえ山口で
寄り道をしてしまったのに。(急がば回れと言うではないか)

 ええい、ここまで来たら寄り道ついでに錦鶏の滝に。なんせ台風後だから・・(どうなの?)。
再び、萩往還の道を離れて滝に向かう。これらの滝も「山口での或る日の出来事」で紹介している。
前にも増してすごい水量でその滝の迫力に圧倒された。来てよかったとしみじみ思う。


8:11 香山公園のうぐいす張りの石畳。足音が反響して不思議なところ。

手を叩いたり、足を石畳に踏み込んだりして、いろんな音を鳴らす実験をしているところ。
石段の奥行きが、高い音をちょうど共鳴する長さになっていると結論付けた。(さすが科学者?)

8:20 朝早いので、まだ誰もいない(セルフで撮影)。瑠璃光寺の五重の塔は大好きな場所の一つである。春夏秋冬、どの季節に訪れても飽きはしない。

8:45 天花の旧道を行く。これより先は通行止め。ああ残念無念! 結局、来た道を引きかえすことに(T_T)

9:20 一の坂ダムに堰き止められてできた錦鶏湖。かつてはこの湖底に虹橋という小さな橋が一の坂川に架けられていた。9戸が水没している。

子安観音堂

天花坂口。ここから四十二の曲がりを経て六軒茶屋に登っていく。でも、その前に錦鶏の滝に寄り道することに。

9:55 雌滝。この前来たときよりも水量が多く、すごい迫力があった。水滴がレンズに飛び散っている。顔にも水しぶきがかかって、とっても涼しく気持ちがよい。

10:05 雄滝。こちらもすごい迫力があった。わざわざ寄り道して見に来てよかった。感激である。
金鶏の滝とも呼ばれる。

 

六軒茶屋の思い出

 滝を楽しんだ後、10:17 天花坂口からいよいよ萩往還最大の難所に向かう。ここから山道の上りが
きつい。暗いヤブの中、寄る蚊を払いのけながら四十二の曲がりをひたすら登る。汗が吹き出てくるが
乾かない。
 そんなこんなで急登を登りきり、バテバテの状態で車道に出る。ここを横断して登れば六軒茶屋はすぐ
そこだ。さて、その六軒茶屋に10:40到着。なんでこんなところこんなお金をかけてこんな無駄なものを
作るの?
という感じである。まだ道が整備されていない頃、ここを通ったことがある。つい最近まで人が住ん
でいたと思われる廃屋(半分崩れかけ)があった。今から30年近く前のことである。
 六軒茶屋近くに元地主だったと思われる人の立て札があった。要するに、観光のために史実がねじ
曲げられているのではないかということである。実際の殿様の休憩所はもっと上にあったのかもしれない。
本当のところはどうなのであろうか。
 さらに行くと、10:55に一の坂一里塚に着いた。北方、従萩唐樋札場六里、南方、従三田尻船場六里と
塚木にあったそうだ。つまり萩往還の中間点といえる。


六軒茶屋への入り口

10:40 六軒茶屋。 昔の茶屋跡を復元したもの。
(衝撃の立て札) 県の見解を否定している

この案内板は、もともとこの土地の持ち主と思われる人が立てたと思われる。県は、この場所を殿様が休憩した場所として大々的に整備したが、ここは庶民の休憩所であったと主張している。

実は、私も復元されたこの施設群に違和感を持っている。なぜなら、昔の廃屋を知っているからである。

よって、こちらを支持!

真実やいかに。


10:55 一の坂一里塚。ここが、ちょうど中間点(北方、従萩唐樋札場六里、南方、従三田尻船場六里)

11:10 キンチヂミの清水
冷たい水が湧いている。その名のとおり、○ン○マが縮み上がるところからきているが、私の場合は変化なし。
顔を洗ったが、こちらはとても気持ち?がよかった。

 

ついに来たぞ、国境(くにざかい)

 瀬戸内海と日本海の間に中国山地がある。山口県のこのあたりは、その端っこになるであろう。
そういうわけで萩往還の最大の難所の板堂峠は500mくらいの標高になっている。ここまで誰にも会って
いない。なにか、私だけ別世界に来た感じである。それもそうだなあ。こんな暑い時期に歩く人はいない
よなぁ。 


11:22 板堂峠

11:25 やってきました国境(くにざかい)
 ここより南は周防の国、吉敷郡、
 ここより北は長州の国、阿東郡
この石碑は宝暦年間に作成されたされ、現在あるのは文化5年に改調されたもの。

 さすがにここまで来ると疲れが極致になった。板堂峠では貧血の症状が出て、倒れる寸前であった。
目の前の視界のコントラストがだんだん強くなり、光がまぶしかった。ちょっとヤバイ。こんなところで
倒れたらどうしよう。当然、携帯電話も圏外である。 ところで、会社の人から、このあたり(21世紀の森)
は霊感の強い人は感じるということを最近聞いた。そういえば、私も子供の頃から繊細で死地からの生還
もあり、不思議な体験をよくしている。板堂峠を越える100mくらいの間、体が別人のようにとても重くなった。
時計をみたが、なぜか文字盤が読み取れない。そして男性のうめき声がしたような気がした。
これまた不思議なことに、ここに来る前の四十二の曲がりを登っているときに、実は蚊を払いのけながら
「餓鬼」のことを思い出していた。餓鬼は生前の報いで餓鬼道に落ちた亡者で、蚊ではなく、そういった弱い
妖怪が私の後ろをしつこくまつわりついているという感覚である。今思い出せば、これはもしかすると・・・
 ここからすぐのところに国境の石碑があり、その横で昼食のメロンパンを食べた。ちょっと元気が
戻った。きっとお腹が空いていたのだろう。サイエンティストの私が、いったいどうしたのだろう。萩往還は
やはり、それだけ何かを感じさせるものがあるということか。

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