頑是(がんぜ)ない歌
山口での、そして一人での気ままな生活も残り少なくなってきた。休みの日に家でじっとしていてもつまらない。できるだけ外に出ることにしよう。というわけで7月の3連休(14〜16日:土日月)はどこかに行こうと思っていたら、木曜、金曜は午前様。もう勘弁してよ。私の体力も限界、土曜は一日中寝るしかない。幸か不幸か、台風4号が南九州、四国をかすめていった。おかげで土曜は完全休息の日になった。明けて日曜日、台風一過を期待して山口市に出かけたところからこの話は始まるのである・・・
山の天気はわからない
よっぽど疲れていたのであろう。前日の土曜日は、朝寝、昼寝をしたにもかかわらず、夜もきっちり寝ることが出来た。日曜日の朝は台風が通り過ぎたのか、久しぶりに朝日がまぶしかった。休養十分。よし、今日はどこかに行こう。そうだ、東鳳翩山に登ろう。この山は、大好きな山の一つである。台風一過は、きっと空気が澄んで素晴らしいことであろう。そんな期待を胸に、小野田発8時23分の電車に乗り込んだ。
新山口駅から東鳳翩山は見えるはずなのに、なぜか山かげが見えない。周辺の山も標高が高いところはガスっている。しまった。台風の吹き返しで、北風が斜面を上がるときに雲ができるのだ。こういう日は時雨(しぐ)れる。おまけに今日は折りたたみの傘も忘れている。なんてドジなんだ。しかたがない。とにかく行くことにしよう。山口駅には9時40分頃に到着した。コンビニでお茶とおにぎりを買い、登山口まで黙々と歩くことにした。3月に開聞岳に行ったとき、靴で苦労したので、今回は家から軽登山靴をもってきた。これは、息子と4年程前に北アルプスの槍ヶ岳を登ったときに履いたものだ。その息子も、今では私の身長を抜いて堂々としたものだ。うれしいことに、彼は来年、家族で北アルプスに行こうと提案している。山登りの苦しみを家族で一緒に乗り越え、その先にある素晴らしい光景を皆で共有したいのであろう。あの息子が立派になったものである(少し親バカ)。途中の錦鶏湖は満々の水をたたえており、豪快に水を放流している。台風は山口には大雨こそもたらさなかったが、今年は梅雨らしい気候で、きっと水不足にはならないであろう。
登山口には10時50分に着いた。途中、横道にそれて錦鶏の滝に行こうか迷ったが、まずは登頂し、帰りにでも寄ることにした。所要時間80分と道標には書いてある。あれ?そんなにかかったかしら。まずは最初の急登である。15分ほど登ると体中に汗が噴出してきた。ときおり顔にかかる霧雨のシャワーが気持ちよい。台風の風による倒木のせいか、樹木のすがすがしい匂いがする。鳥の鳴き声。風が樹林帯を抜けるときの音。やはり来てよかった。
谷間を抜け、50分くらいでコル(鞍部)に出たが、あたり一面ガスっていた。どこかの若者たちのパーティが休んでいたので、私は休憩をとらずにさらに稜線を山頂目指して登っていった。視界が30mくらいであろうか、まさに真っ白で孤独な世界である。山頂の標識がかすかに見え出した頃、時計を見ると11時55分であった。約65分かかったか。若い頃だと50分で登っていただろう。そんなことを考えていたら、トライアスロンみたいな薄手のパンツを履いた男性が、後ろから小走りで私を追い抜いていった。驚くことなかれ、60歳くらいの年配の人であった。元気なおじいちゃんだ。実は、私もかつて、カモシカ山行に憧れたことがあった。これは、重い荷物を持たずに南アルプスなど通常1週間くらいかかる縦走を、2,3日で走りぬける山行で、夜も徹して移動することもある。まさに人間の限界を越えたものである。私も若いときに富士山を田子の浦から一人で登ったことがあった。夕方に海岸で海水を汲み、21時間歩きつづけて富士山山頂に着いた。そこで海水を撒き、一人達成感を味わったものだ。そして、その山行の前に訓練するために、この東鳳翩山に登ったことがあった。その時、何を思ったのか、夜通し歩くことに慣れようと思い真夜中から歩き始めた。懐中電灯を持っていくのを忘れたが、満月の月明かりがあったため、なんとかなるだろうと思い、山に入った。考えてみると、とても危険であったかもしれない。また、お化けが出たらどうしよう。若い時は怖いもの知らずだった。しかし、樹林帯の中は、光が十分に届くはずもなく、いくら通りなれた道とはいえ、ほとんど足探りで進むしかない。引き返すにしても、どこに行くかわからずよけいに危険である。無謀にも程がある。しかし不思議なもので、時間はかかったものの谷間に転げ落ちることなく鞍部についた。ここからは稜線のため高い樹はなく、月明かりで進むことができる。遠く山口の街の灯りが煌めいている。眼はすでに慣れ、これから歩く道が月に照らされて空に向かって浮かび上がっている。ふと振り返れば、佐々並方面の谷に雲海がダムの水のように溜まり、その雲が鞍部からこぼれるように山口側に流れ落ちている。まるで雲の滝のようだ。満月の月明かりの中、たった一人で見たこの幻想的な光景は、今でも昨日のことのように思い出すことができる。そういえば
話を戻そう。山頂に着くと、そのおじいさんは、さっさと降りていってしまった。たった一人、何も見えないガスの中で、おにぎりをあっという間に2個たいらげて、私も急いで下山することにした。以前、吉敷畑方面に下って大変な思いをしたことがあるので、来たルートを引き返すことにした。さすがに軽登山靴は快適だ。おっと、調子に乗ると滑りそうになる。半分くらい登山道を下りてきた時、錦鶏の滝に行くルートの標識があった。ただし、悪路との注意書きが書いてあった。ここは、すごいブッシュの道ということを聞いたことがあるが、私はこのルートを通ったことがない。通常の登山口に戻り、そこから大回りして錦鶏の滝に行くより、この道を試してみることにしよう。なんとかなるさ。こういう決断は早い。
素晴らしい滝と出会えて
それにしてもすごい道である。倒木をくぐったり、乗り越えたりしながら一気に下る。このルートでは、登りはきっと困難だろう、いや荷物を持った下りも危険ではないだろうか。誰も通っていないのか、クモの巣も顔のあたりに何度も引っかかる。しかし、急峻な沢に沿った道のため、次から次に小さな滝に出くわすのがうれしい。30cmくらいの落差の滝が、百や二百はあるのではないかと思うほどである。これまで降った雨を集めているせいか、下に行くほど、その流れが勢いを増している。小さな沢を何度か渡渉するが、ここでも軽登山靴が役に立った。しかし、コケに覆われた岩の上で2度ほど滑ってしまい、お尻を強打した。大声をあげたが、誰もいないので気にすることはない。きっと足に疲れがきているのであろう。履いていたジーンズも汚れてしまった。
うん? 下に何やら屋根が見える。滝を見るための場所だ。ようやく錦鶏の滝まで下りてきた。ここは雄滝だ。まさに錦鶏の尾に見える見事な滝だ。
雄滝 雌滝
今まで、5回くらいは来ているのであるが、これほどまでに水量があるのは見たことがない。樹林帯の中にもかかわらず、上手い具合に太陽の光が当たっている。台風の翌日、そしてこの時間帯、偶然が重なってこの素晴らしい光景に出会った。デジカメは調子が悪いので、携帯で写真を撮った。次から次へと水が流れ落ちていく。ただそれだけなのに見ていて飽きない。滝は実に不思議な力を持っている。
ここから少し下ったところに雌滝への分岐があったので、そちらにも行ってみた。こちらは雄滝のような水のひろがりはないが、迫力があった。水しぶきが霧状になって、とても涼しい。何か、独り占めしているのが惜しいような気もする。県庁付近から歩いて1時間程のところに、こんな素晴らしい自然があるのだ。どうして誰も訪れないのか。いや、人が来ないからこそ価値があるのかもしれないな。
念願のばりそばを賞味
滝を堪能した後、一の坂川に戻ってきた。実は、前々からぜひ行ってみたかった「ばりそば」の店に寄るのが目的である。もし、山口観光案内の資格試験があれば、必ず出題されるであろう有名な場所である。7月にホタルを見に行ったときに寄りたかったのだが、電車の時間の都合で泣く泣く帰らなければならなかった。一の坂川沿い、国道9号線の南にある春来軒がその店である。今から15年くらい前にも、女房と食べに来たことがあった。たぶん、その当時に比べ、リニューアルされているようだ。
一見、皿うどんに似てはいるが、麺はストレートで太く、スープの味も違う。山では昼食はおにぎり2個のみを食べただけであったので、ここに着いたときには空腹感があった。ダイエットの敵ではあるが、ビールと餃子(すでに1個は食べてしまっている)も注文してしまった。
写真は「ばりそば」の小である。これでも相当のボリュームがある。麺の焼き加減もオーダーできる。スタンダード以外に、ばりかた麺orやわらか麺にしてもらえるようである。
山口にいる間に、もう一度これを食べたかったので願いが叶った。それにしてもビールがうまかったこと。
中原中也記念館
ビールも飲み、気分がよくなったところで、最後の目的地である中原中也記念館を目指す。山口から湯田温泉まで歩いても大したことない。40分もあれば十分だろう。中原中也も高校の国語の教科書で知った。帽子をかぶり女性的な風貌をした写真に似合わず、「北の海」の詩は暗い海を連想させ、あまりにも衝撃的であった。しかし、なにか心に響くものがあった。
海にゐるのは、 あれは人魚ではないのです。 海にゐるのは、 あれは、浪ばかり。 |
曇つた北海の空の下、 浪はところどころ歯をむいて、 空を呪つてゐるのです。 いつはてるとも知れない呪。 |
海にゐるのは、 あれは人魚ではないのです。 海にゐるのは、 あれは、浪ばかり。 |
記念館はきれいな建物だ。しかも入館料は310円と安い。館内も落ち着いた雰囲気で気に入った。そうか、生誕100年になるのか。人の心は、いつの時代も悩み、共通している。中也は30歳の短い生涯であるが、現在の人の一生に匹敵するくらい激動の人生を歩んでいる。そして多くの人と交流を持ち、影響を与え、影響を受けている。いろんなことを考えさせる2時間であった。
体は相当疲労しているが、この日は有意義で、実に深い一日であった。思い残すことはない。心境は、タイトルにもなっている「頑是ない歌」そのものだ。あの頃を思い出し、そしてこれからも、私は同じように生きていくのだろう。
頑是ない歌
思えば遠く来たもんだ 十二の冬のあの夕べ
港の空に鳴り響いた 汽笛の湯気は今いずこ
雲の間に月はいて それな汽笛を耳にすると
竦然として身をすくめ 月はその時空にいた
それから何年経ったことか 汽笛の湯気を茫然と
眼で追いかなしくなっていた あの頃の俺はいまいずこ
今では女房子供持ち 思えば遠く来たもんだ
此の先まだまだ何時までか 生きてゆくのであろうけど
生きてゆくのであろうけど 遠く経て来た日や夜の
あんまりこんなにこいしゅうては なんだか自信が持てないよ
さりとて生きてゆく限り 結局我ン張る僕の性質(さが)
と思えばなんだか我ながら いたわしいよなものですよ
考えてみればそれはまあ 結局我ン張るのだとして
昔恋しい時もあり そして どうにかやってはゆくのでしょう
考えてみれば簡単だ 畢竟意志の問題だ
なんとかやるより仕方もない やりさえすればよいのだと
思うけれどもそれもそれ 十二の冬のあの夕べ
港の空に鳴り響いた 汽笛の湯気や今いずこ
とくに好きな一節が英訳してあったので書き写してきた。
On thinking back, I’ve traveled quiet a ways.
Now, I have a wife and little one.
And span of days, so many days.
I’ll probably continue on, but then.
2007.7.16 完